1960年(昭和35年/24才):
ラジオドラマ三作目「大人狩り」が、革命と暴力を煽動するものとして福岡県議会で取り上げられ、公安の取り調べを受ける。戯曲「血は立ったまま眠っている」を劇団四季が上演。16ミリ映画「猫学Catllogy」を演出。ジャズ喫茶に入りびたる。この頃四谷左門町のアパートに母と同居。土方巽と「贋ランボー伝」「直立猿人」などを上演。石原慎太郎、江藤淳、小田実、大江健三郎、谷川俊太郎らの参加していた「若い日本の会」に参加。篠田正浩監督「乾いた湖」のシナリオを書き、出演。九条映子と出会う。文学界に小説「人間実験室」を発表。テレビドラマ「Q」を書く。
1961年(昭和36年/25才):
ファイティング原田と知り合う。ボクシング評論書を書き始める。「白夜」が文学座アトリエで上演される。篠田正浩監督「夕焼けに赤い俺の顔」「わが恋の旅路」」のシナリオを書く。「塚本邦雄論」を書き始める。長編叙事詩「李庚順」を現代詩に連載。「ジャズを楽しむ本」(湯川れい子と共編)刊。
1962年(昭和37年/26才):
人形・実験劇「狂人教育(ひとみ座)」公演、ラジオドラマ「恐山」、テレビドラマ「一匹」を書く。実験映画「檻」を監督。映画「涙を獅子のたて髪に」を共作。ドキュメント風ラジオ「いつも裏口で歌った」を書き、九条映子とともに出演。山野浩一と出会い、競馬通いが多くなる。歌集「血と麦」(白玉書房)刊。
1963年(昭和38年/27才):
九条映子と結婚(カトリック吉祥寺教会)。仲人は谷川俊太郎夫妻。杉並区永福町に住む。大学で「家出のすすめ」を公演してまわり、「現代の青春論」(三一新書」と題して刊。「ダイナマイク」というドキュメント番組を担当し一年間つづける。犬を飼い「ジル」と名付ける。
1964年(昭和39年/28才):
仮面劇「吸血鬼の研究」を書く。放送劇「山姥」がイタリア賞グランプリを受賞。放送劇「大礼服」が芸術祭奨励賞受賞。