年譜 

第一作品集「われに五月を」は、1932年1月、作品社から刊行された記念すべき作品です。短歌研究に投句した「チェホフ祭」(原題:父還せ)が特選になったものの、大学時代にネフローゼによって入院。絶対に助からないと宣告されていました。稀有な才能を一冊の本も残さずに死なせてはならないと、短歌研究の選者でもあった歌人の中井英夫氏が作品社に働きかけて刊行されたもの。

二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
はにかみながら鳥たちへ 手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した

写真は「われに5月を」の表紙です。寺山修司の3周忌となった1985年、思潮社から新装初版として復刻刊行されました。表紙の写真は、東京・八王子の高尾霊園高乗寺にある寺山修司の墓(デザイン:栗津潔)です。