みんなを怒らせろ

1966年1月10日初版(定価450円)/新書館/ブックデザイン:杉浦康平


表紙カバーに記された言葉

戦いはスポーツだが 勝つ ことは思想だ 肉体女優大山でぶこはどこへ行ったのか みんなは眠りから何時醒めるのか テーブルの上に繰り広げられた遊撃の思想 バーブ佐竹の唄 どうせあたしをだますなら だましつづけてほしかった だが声はのどのなかで羽ばたく 怒らせろ 怒らせろ みんなを怒らせろ


目次:

  • いますぐ言いたいこと
    「いますぐ言いたいこと」のためのコラム/さらばミオソチス/栃の海論/松谷好美いずこに/見も知らぬ男への手紙/中西太がたとえ老いても/愛されるボクサーになるな/競馬は死刑より悪いことか/大洋・水割り・ミステリー/セントライト暁に死す/おとうとよ/その前夜/小さなジムの小さな新聞/アイ・ラブ・ヤンキー/故郷を買う思想/怒りをこめて殴り合え/わが父・ジョフレ/馬に注射をうつ男/青木勝利はなぜ弱くなったか/野球のルールと人生のルール/女の子に馬券の買い方を教えたら/「飾り窓」のピッチャーたち/斉藤勝男はなぜ笑ったか/森安騎手帰る/ミッキー・マントルを買え/福島で終戦記念日だった
  • 花をくわえたターザンの肉体
    「花をくわえたターザンの肉体」のためのコラム/抒情的な幻影/第32回日本ダービー論/野球少年の理想/誰が老人に話しかけるか/敵なしで生きられるか「西部戦線異常なし」の宿題
  • 叙事詩「李庚順」
    「李庚順」のためのコラム
  • 五年目のノート
    「五年目のノート」のためのコラム/ゲイボーイ・ジミー/日本のアフリカ人・エクダル・マムダニ/やくざ親分・金井米吉/大学出のポン引き・吉村平吉/レーサー・田中禎助/町の野球狂・中村清造
  • 後書きがわりの小さなコラム

後書がわりの小さなコラム
私がボクサーになるのを思いとどまったのはジャック・ロンドンの小説のせいである。青森の映画館の楽屋裏に下宿して少年時代をすごした私は、それまで絶対にボクサーになりたいと思っていたのだ。当時、京橋公会堂で「素人腕自慢」といって、チャンピオンのスピーディ章に素人が殴りつけ、それをスピーディ章がみごとにかわす(彼のほうは決して手を出さないのに、素人が疲れて参ってしまう)という記事を読み、こんなに「強い男」になれるのなら、私も何も迷わずに上京して入門しようなどと考えていたのである。ところが、ジャック・ロンドンの小説を読んで考えが変わった。
それは、題は忘れたが減量をテーマにしたもので、飢えた少年がリングの上でノックアウトされ、気を失ってゆく瞬間に肉塊のイメージを思い浮かべて微笑するという悲壮なものであった。私は「食わない」で勝者になるか、「食って」勝負の世界から失格するかについて迷った末、結局、減量苦のない世界へと志願をあらためた。
おかげで、いまでは堂々たる七十七キロの体重を誇っている。しかし、それでもファイティング原田を育てた篠崎横氏にいわせると、「トレーニングをすると、ライト級(六〇キロぐらい)まで落ちますな」ということになるのである。ボクサーになるためには「食うべきか、勝つべきか」といった問題に、つねにつきあたる。これは深刻な問題である。
今年も「全日本新人王決定戦」(第十一回)が後楽園で行われたが、体の大きいクラスほど人材に乏しく、ミドル級では一勝しただけで西日本の新人王になった浜伸二という選手まであらわれた。もちろんライトヘヴィ級もヘヴィ級も皆無である。
これに比べて、いくら食べても大きくならない人材にあふれているフライ級では、予選だけで実に一三〇人以上の参加があったというのだから、おどろく。
(現在の日本人の体力伸長度から考えて、日本人の平均体重が決してフライ級あたりでないことはいうまでもない。いまや安定ムードはボクシング界にまで及んで「勝つべき時代から食うべき時代」へと変わってきつつあるのだ)
新人王戦にしても、ことしは昨年よりさらに小粒になってきたという印象をぬぐい得なかった。一ラウンドKOの新人王を三人も擁してきた関西チャンピオンたちも、まるでだらしなく関東の軍門に降りてしまった。たとえば、九戦九勝7KOという戦績で、名古屋のダイナマイトというふれこみの野畠澄雄(常滑)も、カマキリのように痩せて神経質なジャブを繰り返すだけで、若いのにひげをはやした長沢竜夫(東邦)の、実直で真っ正直な戦法に敗れてしまったし、エスコパルばりのオシでつんぼだという竹森正一(中外)も、岡田淳一(リキ)にTKOされてしまった。
結局、新人王のうち無敗で王者についたものは大阪のヘンリー中島(新和)と佐竹正雄日東のわずか二人だけだが、それでもヘンリーはこの日の一ラウンドにダウンされて、あわやというところまで追いつめられたし、重量級の佐竹はこの日が三戦目ということで、二ラウンドから千鳥足になってしまっていた。
私は「食うべき時代」よりも「勝つべき時代」が、何となくなつかしく思い出された。少なくとも戦後の荒廃期には、町に「怒り」があふれていた。いい時代への願望がもえていたのだ。私は、ジムの帰りに一人で、新宿の雑踏を歩きながら、ふとぼんやりとつぶやいてみた。
(みんなを怒らせろ)To Offend Everyone!
一九六五年一二月 寺山修司

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