1974年2月20日第3版(定価850円)芳賀書房/初版1971年
カバー・表紙・目次デザイン:三嶋典東
目次:
巻頭論文
青少年のための家出入門
目次
グラビア
寺山修司アルバム自叙伝
母恋春歌調
乳房おさへてあとふり向いて流す涙も母なればこそ
ひらかな仁義
瓶に詰めたにんげんの小指を貰った
特別とじ込み附録
ぼくの新宿+「のわき」(朝日新聞昭和44年5月4日、青森県野脇中学校新聞)
歴史なんか信じない
山野あなへと地理派少年、家なき子たちの叫ぶ革命、スクリーンの殺人文化
おやじ、俺にも一言
速くなければいけない、母さんはぼくと寝たがらないがだれもが戦争好きの社会
岩下志麻のシッポを見たか
グループ探訪
反戦:シンボル像の破壊をめぐって非戦の間に
ガロ:劇画時代を創り出したマンガ家の前衛たち
言友会
吃音:広く「社会参加」めざす果敢なドモリストたち
ロマンロランの会
読書:「心の花束交換」求めてマジメに生きる人たち
誰が力石徹を殺したか
人生賭博・賭けのエネルギー
オートレーサー:自分自身を追い抜け
キックボクサー:商社には何もやるな「サワムラ論」
騎手」その日その日を本気で生きているやつなんているものか
とじ込み附録
ぼくのえらぶハイティーン詩(ベスト13)
佐伯俊男論:春画地獄
横尾忠則論:ぼくは友人横尾忠則について話したい
林清一論:毒絵具の妖怪画報、花ほととぎすのみだら絵
裏町紳士録
親指無宿:パチンコ
新宿のロレンス:トルコ風呂
ジャパンドリーム:ホステス
肉体なればこそ:ストリッパー
歩兵の思想:サラリーマン、ライスカレーとラーメン
銃:ガンマニア、何を撃つの?と少女が訊ねた
暁に祈る:長距離トラック
ほんとうの教育者
エッセイ:学校の外に「学校」を捜す
サザエさんの性生活
エッセイ
おとうとのための石川啄木ノート
あとがき
抜けぬ言葉への執着(あとがき):書を捨てよ町へ出ようを私自身のアジテーションとして
書物を人生の友人と考えるならば、私の最初の友人は「石童丸」であった。それも義太夫節、並木宗輔の「苅り藁桑門紫輔」などに出会ったのはずっと後になってからであって、私の呼んだのは琵琶語りの台本の「石童丸」であった。醤油の染みのにじんだ和綴りの「石童丸」の中に
ほろほろと鳴く
山鳥の声きけば
父かとぞ思ふ
母かとぞ思ふ
というwかあを、私はどれほど愛誦したことだろう。雑誌は「家の光」、しして高島易断の運勢暦や「九星極意八百十通り」、夢野久作の「犬神博士」や「ドラママグラ」。マンガノ「長靴三銃士」といったものが、私の少年時代の友人たちなのであった。
(中略)
私は「書を捨てよ、町へ出よう」というジイドのことばを私は私自身のアジテーションとした。そして、しだいに読まなくなった。読まなくなっても、言葉への執着がなかなか抜けなくて、まだまだ体を使って頭を動かすにはいたっていない。この数年間に呼んで心ひかれたのは、ギンジスバーグの詩の数篇、エドワード・オールビーやジャン・ジュネの戯曲。そしてノーマン・メイラーの「一分間に一万語」、ヘンリー・ミラーの小説などである。なかでもっとも私の心に深くくいこんでいるのはヘンリー・ミラーの「やさしい心」である。妄想と偏執につかれたヘンリー・ミラーのときどき見せる思いやりのようなもの、そしてまさに同時代のアメリカ人が思い描く「冷房装置の悪夢」は、私に親しく話しかけてくる。あとは、月刊誌の「PLEXUS」と、毎月曜日に出るレーシング。フォームの週刊誌版、「馬」や「競馬週報」が私の数少ない愛読書になってしまったようだ。