映写技師を射て 寺山修司映画論集

1975年6月30日初版(定価960円)新書館/ブックデザイン:栗津潔


寺山修司の映画論を集めた作品です。1981年発行の「地球をしばらく止めてくれ、ぼくはゆっくり映画を観たい」(角川文庫)には、5つの新稿を加え、文庫化されています。単行本は、中央線・荻窪駅前の古本屋で発見しました。小生のコレクションの中で、前の所有者があちこちに緑色のボールペンでマーキングしている一冊です。よほど気に入っていたのでしょうが、なぜ手放したのか。「テレビは思想の衰弱」という言葉が、余白に記されていました。小生が二番目の所有者であると思わせてくれる書き込み入りの古本です。「あとがき」なし。実験映画「トマトケチャップ皇帝」に関する記録が収められています。


目 次:

少年の飛行学 ケン・アナキン
カリガリ博士の犯罪 映画創世史 ローベルト・ウィーネ
地平線の起源について アンドレ・カイヤット
幸福論のすりかえ フランソワ・トリュフー
思想としてのカサノヴァ ジョン・ヒューストン
中古背広を着た王 エリア・カザン
誰が老人に話しかけるか ジョン・ヒューストン
汽笛 降旗康男
ハロウ・ハーロー ゴードン・ダグラス
もう一つの眠り 松山善三
親父、うしろは川だよ 黒沢明

気狂いピエロ(1) ジャン・リュック・ゴダール
気狂いピエロ(2) ジャン・リュック・ゴダール
気狂いピエロ(3) ジャン・リュック・ゴダール
サテリコン フェデリコ・フェリーニ
81/2 フェデリコ・フェリーニ
にっぽん昆虫記 今村昌平
人間蒸発 今村昌平
神々の深き欲望(1) 今村昌平
神々の深き欲望(2) 今村昌平
討論「少年」 大島渚

賭博(1) テーブルの上の荒野
賭博(2) フィルダー・クック「テキサスの5人の仲間」
脱獄 ジャック・ベッケル「穴」
性 ヴィルゴット・シューマン「私は好奇心の強い女」
加虐 石井輝男「徳川女刑史」

「書を捨てよ町へ出よう」ノート
記録映画の鳥類学的比喩
「トマトケチャップ皇帝」ノート(1) 構想
「トマトケチャップ皇帝」ノート(2) シナリオ第一稿
「トマトケチャップ皇帝」ノート(3) シナリオの放棄 撮影開始
「トマトケチャップ皇帝」ノート(4) フィルムの編集
「トマトケチャップ皇帝」ノート(5) 字幕+言語
「トマトケチャップ皇帝」ノート(6) スタッフ・キャスト・上映経過


記録映画の鳥類学的比喩

飛ぶ鳥に向かってシャッターを切るとき、鳥がどの高さまで上がるかを耐えるのが写真の個性である、といえよう。この「耐える」営為なしでは作品が存在しないが、耐えることによって失われた客観的な価値は、純粋記録の意味を堕落させる。
純粋記録とは何か。
それはある日からある日まで休みなくまわりつづけているカメラの眼であり、dの屋根の下にも、どの家具の下にも、私たちすべてのいる場所を太陽よりもくまなく同時に見張りつづけているカメラの眼である。従って、そんなものは存在し得ないように「純粋記録」などは存在し得ない、と考えられる。
パルピュスの主人公は、「眼をこらして、わたしは見た、隣室はそのむきだしの姿を呈示する」と私たちの気をそそるが、彼は目撃者であって記録者ではない。社会問題としての「人目につかぬ片隅の壁穴」などという観念は、すでにプリミティブな意味での人間を喪失して記録などを果たし得たよう筈はない。

(中略)

鳥はつねに一つの言葉を飛んでいる。
だがわれわれがそれを読みとるのはいつもあとになってからだ。
空にさむい航跡をたどることは「記録」とはいわない。
私にとって記録芸術は、鳥自身になることでしかないのだから。

(中略)

私は私自身の記録である。

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