抵抗論 対三島由紀夫

エロスは抵抗の拠点になり得るか(から抜粋)

  • 三島:寺山さん、あなたの主宰する「天井桟敷」、芝居はなかなかおもしろいじゃないか。ぼくも何回かみましたがね。
  • 寺山:ぼくは少年時代に三島さんにファンレターを何度も書きました。返事は来ませんでしたが・・・・・・。
  • 三島:まだ芝居い飽きないかね。ぼくは本当に飽きちゃったよ。
  • 寺山:そうですか。でも三島さん自身の演出の「椿説弓張月」、腹切る場面は、とてもそんな感じがしなかった。
  • 三島:あれは市川猿之助の工夫なんだよ。ぼくは、あんなに血を出す気はなかった。腹切るときに先に死んだ女房が逆さに倒れてる姿ね、あれは北斎の錦絵そのままにしたいと思ったんですよ。そうしたら猿之助が、血が出りゃいいんでしょう、というんで、パーと出しちゃった。とにかく芝居っていうのは、どうしようもなく飽きた。
  • 寺山:ぼくは、角兵衛四肢の親方いなっちゃたもので、簡単に飽きたとは公言できないのですよ。(笑)
  • 三島:六、七年前から、もう芝居は引退だといって暮らしてた。「椿説弓張月」をやってから徹底的に飽きたね。ぼく、演出っていうのはめったにやらないでしょう。やってみると腹の立つことだらけで・・・。
  • 寺山:ぼくは劇は現実原則とは別のエロス的な現実の世界だと思って割り切っているのです・・・。
  • 三島:このあいだ、朝日新聞で渋沢龍彦が言ってるね。フリー・セックスは疑似ユートピアだって。渋沢さんなら、ああ言うべきだったと思うね。だって渋沢さんにとっては、エロチシズムは神とスレスレのところで神に背を向けるから、エロティックに高揚するんだから。それはサドだろう。だけど、そうでないセックスなんて、エロティックでもなんでもないわね。

1970年7月「潮」。この年の11月25日、三島由紀夫は割腹しました。

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