青春の名言・さびしい日のために

1970年9月20日初版/大和書房(定価400円)
装丁・谷崎正人、イラストレーション・辰巳四郎


右写真が「青春の名言・さびしい日のために」です。中央は、2年後に「ポケットに名言を」とタイトルを変更して発行。左写真は、昭和55年発行の角川文庫の表紙です。右と中央の書籍にはあとがきはなく、角川文庫化にともない、改訂版むけのあとがきを残しています。

目次:

  1. 言葉を友人に持とう
  2. 暗闇の宝さがし
  3. 好きな詩の一節
  4. 名言
  5. 無名言
  6. 時速100キロでしゃべりまくろう

 

改訂新版のためのあとがき

1968年に「青春の名言」(大和書房)を出してから、10年近い歳月が流れた。そのあいだに、私と「名言」とのつきあいにも、変転があった。最初から、「ことばを友人に持とう」というサブタイトルを付されたこの本の中の「名言」たちは、他の友人たちと同じように疎遠になっていったものもあれば、急激に親しくなったものもあったのである。死んだことば、生まれたことば、すべてのことばたちは、私の10年と共にあった。ある詩人は、
「ことばなんか、覚えるんじゃなかった」
と書いたが、この「ことば」の三文字は、「女」「酒」「賭博」と入れかえてみれば、ごくありふれた慣用句になってしまうだろう。だが、それにもかかわらず「ことば」であるということは、きわめて重要なことなのである。

本文庫をまとめるにあたって、私は「古い住所録でも書き直すように」、旧友の中からいくつかの「名言」を消して、その数の分だけ、他のことばをを加えた。それがそのまま、読者にとって名言になるかどうかは、私にもわからない。しかし、アランの「幸福論」の中から、7つも8つもの「名言」を選び出していた10年前の私は、どこかまちがった靴をはいていたとしか思えない。そこで私は、いくつかの「入れ替え」を行ったわけだが、だからといって万全を期すことができたという訳ではないのである。大体、10年の空白がみじかすぎたのか長すぎたのかさえ、私にはわからないのだ。

ゴッダムの賢い男が三人
お鍋に乗って海へ出た
お鍋がもう少し頑丈だったら
このお話も
もう少し長くできたのにな

というマザーグースの童話は、「鍋が沈むまで」(すなわち生きている限りは)ことばの交換が行われることを物語っている。私もまた(ゴッダムの賢人ではないが)、こうやって本を出しつづけられるあいだは、ことばの交友録を書きかえつづけることになるだろう。

ところで、ことばと名言とをまぎわらしく用いてきたので、このへんで、私にとっての「名言」が何であるのかを、一応、あきらかにしておくことにしよう。もし、名言を定義づけるとすれば、それは、

1、呪文呪語の類
2、複製されたことば、すなわち引用可能な他人の経験
3、行為の句読点として用いられるもの
4、無意識世界への配達人
5、価値および理性の相対化保証する証文
6、スケープゴートとしての言葉
とでもいったことになるだろうか?

思想家の軌跡などを一切無視して、一句だけ取り出して、ガムでも噛むように「名言」を噛みしめる。その反復の中で、意味は無化され、理性支配の社会と死との呪縛から解放されるような一時的な陶酔を味わう。

ピンクレディの唄でも口ずさむようにカール・マルクスの一句を口にし、明日はあっさりとそれを裏切っている。こうした軽薄なことばとの関りあいを、ミシェルフーコーの<混在的なもの>エテロクリットなどと同義に論じようなどといった大げさな野心はない。ただ、私は、じぶんの交友録を公開するように、この「名言」集を公開し、10年たったので、多少の入れかえを行った、というにすぎない。そして、「名言」などは、所詮、シャツでも着るように軽く着こなしては脱ぎ捨ててゆく、といった態のものだということを知るべきだろう。

「名言」は、だれかの書いたセリフではあるが、すぐれた俳優は自分のことばを探し出すための出会いが、ドラマツルギーというものだということを知っているのである。

1977年7月 著者

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