Aphorism

ことばは友だち・・・あとがきにかえて

気の利いた「言葉」は、しばしば良質のブランディを思わせる。
一人でしみじみと味わうのもいいし、二、三人で語りあいながら、酔うのも愉しい。

気の利いた「言葉」は、それ自身で、友人になることもある。途方にくれているとき、いいアドバイスをしてくれるからである。

「きみはもう二度とその話はしないのかと思った」
「だって仕方ないじゃないか」
「話をすると思い出が消えちまうよ」
「だから、まわりのほうだけ話しているのよ」
ヘミングウェイ『陽はまた昇る』

ときどき、話すのが惜しい言葉もある。「言葉にケチな男」というのもある。
だが、いい「言葉」を沢山もつことは、銀行に沢山、預金をするよりもゆかたなことである。

「名言集というのは、言葉の貯金通帳なのね」
と言った女の子がいる。そうかも知れない。

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これは昭和57年12月28日発行の「両手いっぱいの言葉/413のアフォリズム」に
彼が寄せたあとがきです。 亡くなる半年前の出版物。
言葉の錬金術師といわれた彼の言葉がたくさんちりばめられています。