12年前(2000年)、小生は彼が残した生原稿を偶然手に取って読むことができました。それは、亡くなる前の3月頃に書かれた可能性もあります。絶筆といわれている「墓場まで何マイル?」の後に書かれた可能性もあり、本当の意味での絶筆なのかもしれません。少なくとも同時期にかかれたものであるのは間違いないでしょう。
彼の親友でもある俳優の原田芳雄は、彼が亡くなった5月4日の3日後、札幌でリサイタルを開きました。そのリサイタルを紹介する機関誌に掲載するため、寺山修司が公演の主催者に送った原稿なのです。
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原田芳雄の唄 寺山修司
世の中には二通りの人間がいる。
墓穴を掘るやつと、埋められるやつだ。
誰が言ったか忘れたが、そんな映画の台詞
があった。俺は、思わずにやりとした。
原田芳雄は、「墓穴を掘る」方の人間だ、
と思ったからである。
墓穴を掘る、というのはイメージとしては
暗い。虚無的だ。
だが、それでも労働には違いないのである。
うっすらと裸の胸に汗をにじませ、はだしで
墓穴を掘るときの原田は、なかなかセクシーだ。
そんなとき、原田はどんな唄をうたうのだろ
うか?
地の果てまで寝過ごした男。
目ざめると、そこは「悲しき熱帯」だ。
怠惰と誠実、ジゴロと無政府主義者、働き
者と三文詩人、・・・さまざまな対立を一つの
人格のなかで、対立のまま放置しておくとき、
原田は俳優となる。
正体をかくした「群衆の中の一つの顔」。
だが、かくしくれぬ生身の原田を俺は愛す
る。
ジョン・フォードの「男の敵」、「果てしな
い航路」「怒りの葡萄」のような、せつない男
の映画を演じられるのは、原田しかいないので
はないか。
原田のために書いた詩がある。
原田がコンサートで唄ってくれた唄である。
もう歌うなよ
あの唄は
もう忘れろよ
秋風に
それでもときどき気にかかる
同じ日、刑務所を出たあいつ
いま頃どうしているのだろか
いもうと訪ねて行ったきり
「りんご追分け」は好きだった
いつもひとりで唄ってた
そのうちおれもおぼえてた
まだ見ぬ津軽に
あこがれて
あこがれて
もう歌うなよ
あの唄は
もう忘れろよ
あんなやつ
原田の「りんご追分」は絶品である。世の
中には、やっぱり二通りの人間がいるのだ。
唄をうたうやつと、その詩を書くやつだ。
さて、俺の方は体をこわして、賭博ばっか
りやっている。
どうせ「埋められるやつ」には、先が見え
ている。底抜けにあかるい気分だが、一週間
に五日は病床で、あとの二日でできることは、
贈る花のことを考える位のものだ。
ききに行けないのが、ほんとうに残念だ、
残念だ、残念だ。
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寺山修司専用の原稿用紙に書かれた彼独特の文字に、
彼の死を予感することは出来ませんでした。
「底抜けにあかるい気分」が、死を直前にした彼の本音なのか。
墓を建てなくていいと言った彼が、「どうせ埋められやつには先が見えている」と言うのは、「ええかっこしい」なのでしょう。
「残念だ、残念だ、残念だ」と3回繰り返す彼の言葉の行間に、
どうも「この世への未練」を感じとってしまいます。
2012/02/29(原田芳雄の誕生日)管理人