A・ピアスは「悪魔の辞典」の中で、「会話・対話」について語っています。
二流以下の連中が、お互いに自分の頭脳の中身を陳列し合う共進会。
ただし、誰も彼も自分の商品を並べ立てるのに忙しく、
隣人が並べて見せる商品を眺める余裕など、ぜんぜんないのが普通。
寺山修司は「人生なればこそ」で友情についてこう語っています。
友情というのは、いわば「魂のキャッチボール」である。
一人だけ長くボールをあたためておくことは許されない。
受け取ったら投げ返す。 そのボールが空に描く弧が大きければ大きいほど
受けとるときの手ごたえもずっしりと重いというわけである。
それは現在人が失い欠けている「対話」を回復するための精神のスポーツである。
恋愛は、結婚に形を変えたとたんに消えてしまうこともあるが、 友情は決して何にも形をかえることができない。
寺山修司の対談相手が、はたして二流以下だったかとうか。
彼は多くの友人と対話を楽しんできたようです。
映画、詩、演劇などの作品から受ける印象とは、
またひと味違った彼が 対話の中に隠れています。