ニュースレター/昭和52年5月4日付

五月になりました。お元気ですが?

忙しさにとりまぎれて、お便りを書く時間が出来ないので、ロンドンの友人のジム・ヘインズの真似をしてニュースレターを送ることにしました。これはその第二便です。32人の友人に同じ手紙を書くことになりますが、ご無沙汰するよりは良いと大目にみて下さい。

今月の16日に文京区の三百人劇場(地下鉄・千石駅)で、ぼくの映画「書を捨てよ町へ出よう」と「田園に死す」の二本が上映されます。もしごらんになつていない方がいたら、ぜひ観に来て下さい。当日はぼくもロビーににいます。

最近、ロンドンに住んでいる友人が手紙をくれて、他人の記憶を注射する催眠治療の実験に成功したと書いてありました。他人の記憶を注射出来るというのは、全く驚かされる話です。ぼくの少年時代に加藤道夫の「思い出を売る男」という劇があって、それは自分の思い出を、お金を出して買うという筋でしたが、さて、他人の記憶を注射されて、いつの間にか自分が靴屋の息子にかわり、大列車強盗の一味であったりすることも愉快ですが、自分の記憶が自分の知らない他人の過去になっているなどと考えるといささか憮然とするわけです。そうなったらもう詩や小説にも盗作などというものは、なくなってしまうかもしれません。

この連休は、とじこもって、アーサーラッカムの絵本「マザーグース」を翻訳していました。ぼくもおくればせながら「マザーグース」を訳す何人かの詩人の中に仲間入りしたという訳です。

「ビックリハウス」という雑誌があります。前に天井桟敷にいた萩原朔美が編集しているものですが、その別冊「スーパー」というのに童話の書き直しを連載することになり、今市販されているスーパー2号に「書き直し親指姫」という奇妙きてれつな童話を載せましたので、おひまでしたらお読み下さい。秋にサンパウロのビエンナーレで、演劇を上演するという話がきて、今劇団のみんなと初めてのブラジル旅行のためのアイデアを練っているところです。

6月に上映されるぼくの新作映画展(西武劇場)のための新作「一寸法師を記述する試み」「マルドロールの歌」「奇伝集」などの制作に取りかかったところで、毎日忙しくロケハンをしたり撮影の準備をしたりしています。「さえぎられた映画」などを考えているうちに、発作的に「停電映画」というのを思いつきました。真っ暗で何も見えず、音だけが聞こえてくるという停電映画と思ったのですが、停電すると音も聞こえなくなってしまうので、これはうまくいかないかもしれません。七月の「中国の不思議な役人」(西武劇場)の再演の前売券はもう売り出されました。もしまだごらんになっていない方あるいは友人にすすめてくださる方は、ぜひよろしくお願い致します。チケットは、人力飛行機舎に申し込むとさらに一割安くなるように、平川さんが、手配してくれることになっています。

このところ、タンジェン・ドリームのロックに、すっかり熱中してひとりでいるときは、いつも朝からそのレコードをかけて聞いています。特に最新作の「ロマン」というのは傑作だと思います。

さて毎年五月には、新入生歓迎の講演のために大学に話をしに行く機会が多いのですが、今年も、昭和女子大、精華短大(京都)、東京大学五月祭、などに出かけます。29日は、日本ダービーです。フジテレビをぜひごらん下さい。しかしそこでぼくが予想したのを買おうと思っても、もう間に合わないのであしからず。

人力飛行機舎に、おひまなおりには遊びに来て下さい。このところ友人のシーザーの音楽会の準備、田中未知さんのコンサートの準備、そして、ぼくの新作映画展の準備、猫の本、ペーパームーン「ガラスの城」のページ編集、などなどいろんな用事で、人手不足で、アシスタントの平川さんがてんてこまいをしています。手伝ってくれると大助かりというわけです。日刊ゲンダイで毎週金曜日の「人生万歳」というページを編集していますが、その中で東京ラーメンは、どこが一番おいしいかというのを採点するため毎週ラーメンを食べまくっていますが、今までのところをぼくが非常にうまいと思ったのは、青山の「ギャラリーワタリ」の筋向かいにある「スクラン」という店です。もっともこの店ではラーメンよりも一種独特のまるで、おやじのようなギョーザが非常にうまいのです。

「現代の眼」の連載の「さらば津軽」は、今回は太宰治の悪口です。徹底的に太宰治をやっつけましたので、興味のある方は読んで下さい。思潮社の「地獄変」再版になりました。それから「猫の航海日誌」(新書館)もついにできました。あとは又、次のお便りに書きます。あなたも近況をぜひお知らせ下さい。お返事待っております。

寺山修司

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続・書を捨てよ、町へ出よう

1974年2月20日第3版(定価850円)芳賀書房/初版1971年
カバー・表紙・目次デザイン:三嶋典東


目次:

巻頭論文
青少年のための家出入門

目次

グラビア
寺山修司アルバム自叙伝

母恋春歌調
乳房おさへてあとふり向いて流す涙も母なればこそ

ひらかな仁義
瓶に詰めたにんげんの小指を貰った

特別とじ込み附録
ぼくの新宿+「のわき」(朝日新聞昭和44年5月4日、青森県野脇中学校新聞)

歴史なんか信じない
山野あなへと地理派少年、家なき子たちの叫ぶ革命、スクリーンの殺人文化

おやじ、俺にも一言
速くなければいけない、母さんはぼくと寝たがらないがだれもが戦争好きの社会
岩下志麻のシッポを見たか

グループ探訪
反戦:シンボル像の破壊をめぐって非戦の間に
ガロ:劇画時代を創り出したマンガ家の前衛たち

言友会
吃音:広く「社会参加」めざす果敢なドモリストたち

ロマンロランの会
読書:「心の花束交換」求めてマジメに生きる人たち

誰が力石徹を殺したか

人生賭博・賭けのエネルギー
オートレーサー:自分自身を追い抜け
キックボクサー:商社には何もやるな「サワムラ論」
騎手」その日その日を本気で生きているやつなんているものか

とじ込み附録
ぼくのえらぶハイティーン詩(ベスト13)

佐伯俊男論:春画地獄

横尾忠則論:ぼくは友人横尾忠則について話したい

林清一論:毒絵具の妖怪画報、花ほととぎすのみだら絵

裏町紳士録
親指無宿:パチンコ
新宿のロレンス:トルコ風呂
ジャパンドリーム:ホステス
肉体なればこそ:ストリッパー
歩兵の思想:サラリーマン、ライスカレーとラーメン
銃:ガンマニア、何を撃つの?と少女が訊ねた
暁に祈る:長距離トラック

ほんとうの教育者
エッセイ:学校の外に「学校」を捜す

サザエさんの性生活
エッセイ

おとうとのための石川啄木ノート


 

あとがき

抜けぬ言葉への執着(あとがき):書を捨てよ町へ出ようを私自身のアジテーションとして

書物を人生の友人と考えるならば、私の最初の友人は「石童丸」であった。それも義太夫節、並木宗輔の「苅り藁桑門紫輔」などに出会ったのはずっと後になってからであって、私の呼んだのは琵琶語りの台本の「石童丸」であった。醤油の染みのにじんだ和綴りの「石童丸」の中に
ほろほろと鳴く
山鳥の声きけば
父かとぞ思ふ
母かとぞ思ふ
というwかあを、私はどれほど愛誦したことだろう。雑誌は「家の光」、しして高島易断の運勢暦や「九星極意八百十通り」、夢野久作の「犬神博士」や「ドラママグラ」。マンガノ「長靴三銃士」といったものが、私の少年時代の友人たちなのであった。

(中略)

私は「書を捨てよ、町へ出よう」というジイドのことばを私は私自身のアジテーションとした。そして、しだいに読まなくなった。読まなくなっても、言葉への執着がなかなか抜けなくて、まだまだ体を使って頭を動かすにはいたっていない。この数年間に呼んで心ひかれたのは、ギンジスバーグの詩の数篇、エドワード・オールビーやジャン・ジュネの戯曲。そしてノーマン・メイラーの「一分間に一万語」、ヘンリー・ミラーの小説などである。なかでもっとも私の心に深くくいこんでいるのはヘンリー・ミラーの「やさしい心」である。妄想と偏執につかれたヘンリー・ミラーのときどき見せる思いやりのようなもの、そしてまさに同時代のアメリカ人が思い描く「冷房装置の悪夢」は、私に親しく話しかけてくる。あとは、月刊誌の「PLEXUS」と、毎月曜日に出るレーシング。フォームの週刊誌版、「馬」や「競馬週報」が私の数少ない愛読書になってしまったようだ。

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書を捨てよ、町へ出よう

    

1973年12月10日第5版(定価980円)芳賀書房/初版1967年


寺山修司の代表作であり、彼が生涯を通じてこだわった「出会いのスローガン」「魔法の呪術」「ストリートキッズに向けて放たれた過激なメッセージ」が収められています。この「書を捨てよ、町へ出よう」は天井桟敷の設立された1967年に出版されました。同題名の長編映画は1971年に公開。現在、角川文庫、河出文庫で再版されています。寺山修司の入門書といえる作品です。文庫本では味わえない、イラスト、カット、写真を中心にご紹介します。28年前、東京・荻窪の古本屋で見つけました。山積みされた書籍の下の方に埋もれていました。200円でした。


カバー・表紙・目次・・・横尾忠則、下着の風景(カバー1)・・・横尾忠則、
(カバー2)・・・横尾忠則、オフセット  ザ・シュージーズ(見返し1)・・・横尾忠則、
雪村いづみのいる風景(見返し2)・・・横尾忠則、二人の女(表1)・・・横尾忠則、
写真・・・吉岡康宏、美術サロン(今年の名画1)・・・寺山修司


 

青年よ大尻を抱け
大志ではなくて大尻である クラーク先生も教えなかった
この「時代的教訓」は?          寺山修司

足時代の英雄たち
幸福への偽証にすぎないホームドラマを
「強い足」で蹴飛とばそう         寺山修司

特別とじ込付録 私自身の詩的自叙伝     寺山修司

自由だ、助けてくれ
怪獣紳士録にもない「自由」という怪物を怖れる
同時代の小人物たちへの警告!       寺山修司

不良人間入門
あなたも不良になれる!
履歴書も私見も要らないその秘訣      寺山修司
1 不良少年入門
2 家出入門
3 モダンジャズ入門
4 歌謡曲人間入門
5 アソビ学入門

恋愛百科・口から出まかせの恋愛論
アダムもイブも無人島では読めなかった
新しい濃いのアモラル百科!        寺山修司
1 恋の値段
2 デートの申込み方
3 恋人になる資格
4 浮気者
5 純潔について
6 恋は錯覚だ

三文エロイカ
英雄でも、英雄の靴みがきでもない
「現代の顔役」のための詩的デッサン    寺山修司
喜劇俳優(渥美清)
プロレスラー(ジャイアント馬場)
流行歌(美空ひばり)
競輪選手(高原永伍)
美人スター(山本富士子)
プロボクサー(藤猛)
漫画家(富永一朗)

痩せた日本人のための書           寺山修司
痩せた豚でもデブのソクラテスでもない
日本人たへの煽動のクリテータ       寺山修司
現代悪人論
栄光何するものぞ
壮大な性の音楽を

行きあたりばったりで跳べ
歳破大凶殺子年丑年寅年卯年お母ちゃん!
死符都天凶方五黄仏壇運勢姥捨子守歌    寺山修司
子守歌はウソつき
棺桶が歌った
お母さんの死体始末
醒めて怒れ
KISSOROGY
ある日、突然に
つまずきと冒険
だれのための毒薬

スポーツ無宿
競馬場の片隅で書かれた
私自身の感傷的なノート          寺山修司
二人の女
草競馬で逢おう
競馬のメフィスト
ああ、日本海
クリフジはいずこに
と殺場の英雄
野球少年エレジー
空想打倒試合の巻
天皇賞その日
さすらいの切手
三分三十秒の賭博
馬の性生活白書
片目のジャック

著者紹介 装幀者紹介写真提供者紹介
読者への御注意(本書のカバーは裏も使えます。表が飽きたら裏返しにしよう。本文の左頁の上隅のカットはアニメーションになっています。パラパラとやってみましょう。


 

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五月の詩・序詞

きらめく季節に
だれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

夏休みよ さようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい
本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち

萌ゆる雑木は僕のなかにむせばんだ
僕は知る 風のひかりのなかで
僕はもう花ばなを歌わないだろう
僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう
春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを
そうして僕が知らない僕の新しい血について
僕は林で考えるだろう
木苺よ 寮よ 傷をもたない僕の青春よ
さようなら

きらめく季節に
だれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこと時 僕は僕の季節の入口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる

二十才 僕は五月に誕生した

(1975年1月、「われに五月を」より)

 

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抵抗論 対三島由紀夫

エロスは抵抗の拠点になり得るか(から抜粋)

  • 三島:寺山さん、あなたの主宰する「天井桟敷」、芝居はなかなかおもしろいじゃないか。ぼくも何回かみましたがね。
  • 寺山:ぼくは少年時代に三島さんにファンレターを何度も書きました。返事は来ませんでしたが・・・・・・。
  • 三島:まだ芝居い飽きないかね。ぼくは本当に飽きちゃったよ。
  • 寺山:そうですか。でも三島さん自身の演出の「椿説弓張月」、腹切る場面は、とてもそんな感じがしなかった。
  • 三島:あれは市川猿之助の工夫なんだよ。ぼくは、あんなに血を出す気はなかった。腹切るときに先に死んだ女房が逆さに倒れてる姿ね、あれは北斎の錦絵そのままにしたいと思ったんですよ。そうしたら猿之助が、血が出りゃいいんでしょう、というんで、パーと出しちゃった。とにかく芝居っていうのは、どうしようもなく飽きた。
  • 寺山:ぼくは、角兵衛四肢の親方いなっちゃたもので、簡単に飽きたとは公言できないのですよ。(笑)
  • 三島:六、七年前から、もう芝居は引退だといって暮らしてた。「椿説弓張月」をやってから徹底的に飽きたね。ぼく、演出っていうのはめったにやらないでしょう。やってみると腹の立つことだらけで・・・。
  • 寺山:ぼくは劇は現実原則とは別のエロス的な現実の世界だと思って割り切っているのです・・・。
  • 三島:このあいだ、朝日新聞で渋沢龍彦が言ってるね。フリー・セックスは疑似ユートピアだって。渋沢さんなら、ああ言うべきだったと思うね。だって渋沢さんにとっては、エロチシズムは神とスレスレのところで神に背を向けるから、エロティックに高揚するんだから。それはサドだろう。だけど、そうでないセックスなんて、エロティックでもなんでもないわね。

1970年7月「潮」。この年の11月25日、三島由紀夫は割腹しました。

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