母逝く・他 高校時代の作品

母逝く 「東奥日報」掲載 (青森高校1年)

母もつひに土となりたる丘の墓去りがたくして木の実を拾ふ

埋め終へて人立ち去りし丘の墓にはかに雨のあらく降りくる

音たてて墓穴深く母のかんおろされしとき母覚めずや

夢にさめてまだ明けきらぬ病室に一番列車行くを聞き居り


夢のころ  (青森高校1年)

硝子戸に夕焼映えて腕白の子供の笛の哀しかりけり

この砂の果てに故郷のある如く思ひて歩む春の海かな


黒猫  「青高新聞」(昭和26年7月18日)

黒猫たちが
塀の上で
魔法で話す

赤い頭巾の
老婆の話
青い
かやの実の話

ピンと張った
しっぽの先に

かみそりの月

黄金の月


フロラの断章 映画メモ

「青高新聞」昭和28年12月21日(青森高校3年)

幼年時代、映画は私にとって憂鬱なダイヤモンドかあるいは地獄の美学とでもいった存在であった。青白い騎兵の逢いびきを夢みながら映画館のまわりを、私は銅貨に汗をかかせるほどにぎりしめて行ったりきたりしていたものであった。
「母さんに叱られないかしら」

ところで。
映画がいつの間にか私の中に住みこんでしまうと妙な趣味がついた。何気なく入った映画が女学生泣かせの日本の水晶映画(と呼んでいる。中味がまるみえだから)だったりすると、聞こえよがしに「変だなァ。佐田啓二が出かけるときと帰ったときの上着が違っているなんて」

現代は喜劇と悲劇がまるでおんなじだといわれている。私は「ライム・ライト」を見たとき本当にそれを知った。

「まごころ」ってきれいだね。野添ひとみが気にいっちゃった、といった友達もあるが、今年の木下恵介は「日本の悲劇」によって従来のロマンからの脱皮を試みている。「七人の侍」はとうとうできなかった。

今年のベスト・ワン。「肉体の悪魔」。フランスのすすり泣き。

「河」のヴォリームはとうてい日本では創られそうもない。見ていた友人が「あれは溜息を黄と緑で塗りつぶした油絵のようだったね」
「愛人ジュリエット」望郷のカナリア。

川口松太郎が芸術新潮で「批評家がほめる映画と一般客が見にくる映画が違うから批評家を信用しない」といっているが、私にいわせればそれだけに大映の映画は一番つまらない。今年も「雨月物語」の一本きり。

ところで、つまらなかったののベストワンは「ベルリン陥落」。あれに出てくるヒットラーが狼のようであり、スターリンがカミサマのようだと思ったのは皆だけれど、信じた人はあったかしら。

さて。
映画は城のようである。雪の匂いの町なかで、今日も少年たちが騎兵のように呑まれてゆく。

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寺山はつ著 母の螢 寺山修司のいる風景

1985年2月15日初版(定価1300円)新書館/装幀:宇野亜喜良


寺山修司の死後、新書館の勧めで母・寺山はつが書き残した寺山修司です。

「なるほど母親というものはこういうものなのかと胸をつかれた。なにをどう語ろうと、かけがえのない寺山さんの夭逝を惜しむ気持ちがあふれていて、母の語る寺山修司は終始魅力的であった」というのは山田太一の評です。本編は、第一章から第四章で、彼女が寺山修司を産んでから亡くなるまでの回想文。中学、高校時代の手紙と作品。「青いサンダル」「電話」「母」と題したエピソードの「螢火抄」の3つで構成されています。
母から見た寺山修司は、まさに彼の残した作品群を通しては見られなかった彼でした。しかし、ここには母による寺山修司は描かれているものの、決して寺山はつ自身が描かれているわけではありません。息子は作品の中で、時には母を殺し、母を放火魔にし、母に駆け落ちさせてきました。小生にとって、寺山修司本人よりも、むしろ母・寺山はつのほうが、いまでも謎めいています。

表紙をめくると、

母の螢捨てにゆく顔照らされて  修司

という句が記されています。
この書籍には、幼・少年期を中心に寺山修司の白黒写真が20点ほど掲載されています。

第一章
昭和十年十二月十日。
陣痛がはじまったのが、その三日前からでした。今夜あたり産まれるかもしれないと言われたがその夜は産まれず、明日の朝かなと言われたがやっぱり駄目で、やっと三日目の夜、八時頃、難産のすえ産まれたのです。

(中略)

小学生と中学生のお嬢さんが二人いまして、私が診察するあいだ連れてきた修ちゃんは、このお嬢さんたちにいつも遊んでもらっていました。修ちゃんはこの二人を、赤いお姉さんと青いお姉さんと呼んでいました。院長先生がこれを見て、「修司ちゃんは、なかなか詩人だね」と言われました。これが、修ちゃんが詩人と言われた最初なのです。三歳でした。


母の蛍の「あとがき」

私はよく修ちゃんのファンの方たちに、「寺山さんは子供の頃どんな子でした?」と聞かれました。また「寺山さんにお母さんがいたんですか?」とも言われました。それから、「寺山さんはほんとうはどこで生まれたんですか?」と聞かれたこともあります。

あの人は自分をモデルにしたり、私をモデルにして、いろいろフィクションで書いているので、どれが真実で、どれがフィクションなのかまるでわからない、謎の人になっているようです。
真実を知っているのは私だけなのです。この真実を記録として書き残しておかなければ、謎の人で永久に終わってしまうのです。これは私の責任として書き残しておかなければと、書きはじめたのです。
ただ真実の記録として残しておくつもりだったのですが、新書館の白石さんに、これは寺山修司を愛している人なら誰でも知りたく思っていることだから、本にして出しましょうとすすめられて、いろいろ手助けしてもらいまして、とうとうこうなりました。
手の不自由な私のために手伝ってくださった西浦禎子さんもいました。仁茂弘美さんもいました。みなさんのおかげでやっと出来上がりました。有難うございます。


寺山修司の母堂寺山はつは、平成3年12月26日77才の生涯を閉じ、息子といっしょに東京・八王子の高尾霊園で眠っています。

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チェホフ祭

初期短篇 チェホフ祭


マッチ擦るつかのまの海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット

胸病みて小鳥のごとき恋を欲る理科学生とこの頃したし

草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ

とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を

わが撃ちし鳥は拾わで帰るなりもはや飛ばざるものは妬まぬ

吊されて玉葱芽ぐむ納屋ふかくツルゲエネフをはじめて読みき

ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らん

雲雀の血すこしにじみしわがシャツに時経てもなおさみしき凱歌

一つかみほど苜蓿うつる水青年の胸は縦の拭くべし

俘虜の日の歩幅たもちし彼ならむ青麦踏むをしずかにはやく

すこしの血のにじみし壁のアジア地図もわれも揺らる汽車通るたび

チェホフ祭のビラのはられて林檎の木かすかに揺るる汽車過ぐるたび

父の遺産のなかに数えむ夕焼はさむざむとどの時よりも見ゆ

胸病めばわが谷緑ふかからむスケッチブック閉じて眠れど

すでに亡き父への葉書一枚もち冬田を超えて来し郵便夫

桃いれし籠に頬髭おしつけてチェホフの日の電車に揺らる

煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし

うしろ手に墜ちし雲雀をにぎりしめ君のピアノを窓より覗く

わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む

ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし

勝ちながら冬のマラソン一人ゆく町の真上の日曇りおり

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

転向後も麦藁帽子のきみのため村のもっとも低き場所萌ゆ

やがて海へ出る夏の川あかるくてわれは映されながら沿いゆく

蝶追いし上級生の寝室にしばらく立てり陽の匂いして

北へはしる鉄路に立てば胸いづるトロイカもすぐわれを捨てゆく

罐に飼うメダカに日ざしさしながら田舎教師の友は留守なり

すぐ軋む木のわがベッドあおむけに記憶を生かす鰯雲あり

ある日わが貶しめたりし天人のため蜥蜴は背中かわきて泳ぐ

うしろ手に春の嵐のドアとざし青年はすでにけだものくさき

晩夏光かげりつつ過ぐ死火山を見ていてわれに父の血めざむ

遠く来て毛皮をふんで目の前の青年よわが胸うちたからん

夾竹桃吹きて校舎に暗さあり饒舌の母のひそかににくむ

誰か死ねり口笛吹いて炎天の街をころがしゆく樽一つ

刑務所の消燈時間遠く見て一本の根をぬくき終るなり

製粉所に帽子忘れてきしことをふと思い出づ川に沿いつつ

ラグビーの頬傷は野で癒ゆるべし自由をすでに怖じぬわれらに

ぬれやすき頬を火山の霧はしりあこがれ遂げず来し真夏の死

夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでもゆけどわが影を出ず

胸にひらく海の花火を見てかえりひとりの鍵を音たてて挿す

わが内の少年かえらざる夜を秋菜煮ており頬をよごして

サ・セ・パリも悲歌にかぞえむ酔いどれの少年と一つのマントのなかに

外套を着れば失うなかにあり豆煮る灯などに照らされて

冬の斧たてかけてある壁にさし陽は強まれり家継ぐべしや

墓買いに来し冬の町新しきわれの帽子を映す玻璃あり

口あけて孤児は眠れり黒パンの屑ちらかりている明るさに

地下水道をいま通りゆく暗き水のなかにまぎれて叫ぶ種子あり

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マルのピアノにのせて

マルのピアノにのせて
時速一〇〇キロで大声で読まれるべき
六五行のアメリカ


アメリカよ

小雨けむる俺の安アパートの壁に貼られた一万の地図よ
そして
その地図の中のケンタッキー州ルイスビルに消えて行った
二年前の俺のぬけがら
チャーリー・パーカーのレコードの古疵を撫でる
後悔と侮蔑の 英文科二年生秋本昇一の 二十年間の醒めない悪夢よ
そしてまた 二度と帰還することのないB29
草の葉の死んでしまったのだ
ジェームス・ディーンの机の抽出しに
いまも忘れられている模型飛行機のカタログよ
歌うな数えよ 数だけが政治化されるのだ
プエルトリカンの洗濯干場の十万の汚れたシーツよ
時代なんかじゃなかった 飛べば空なのだ、すっぽりと
涙よ アメリカにも空があって
エンパイヤーステートビルから 俺の心臓まで
死よりも重いオモリを突き刺すパンアメリカン航空のカレンダーよ
キリーロフは見捨て 圭子はあこがれる
ジャック・アンド・ペティのマイホーム
ニューギニアの海戦で俺の父親を殺したアメリカよ
コカコーラはビル街を大洪水にたたきこむ
カーク・ダグラスの顎のわれ目のアメリカ
マルクス兄弟の母国のアメリカ
ホットドッグにはさまれたソーセージが唸り立つ勃起のアメリカ
老人ホームの犬は芸当が得意な、おさらばのアメリカよ
大列車強盗ジェシー・ジェームズのアメリカ
できるならば
そのおさねを舐めてみたいナタリー・ウッドのアメリカ
カシアス・クレイことモハメッド・アリが
キャデラックにのって詩を書くアメリカ
百万人の唖たちの「心の旅路」のアメリカ
そしてヴェトナムでは虐殺のアメリカよ
見えるか スタッティアイランド
あこがれの摩天楼を遠望しながら
二人ぼっちで棒つきキャンディをしゃぶった
ジェーンとその兄のアメリカよ
あかまのジェームス・ボールドウィンは
なぜ白人としか寝ないのだアメリカ
LCD5ドルで天国のアメリカ
マンホール工事は墓堀り仕事のニックの孤独なアメリカよ
ホーン・アンド・ハーダーで15セントのコーヒーばかり啜る
ユダヤ人のワインベルグはいつ母親を売りとばすのか
そしてまたアーチ・シップは
眼帯をかけて叩きまくる半分のアメリカよ
今日もハリウッドの邸宅のプールで泳ぐ
老女優べティ・デヴィスの最後のメンスよ
星条旗よ 永遠なれ アメリカよ アメリカよ
それはあまりにも近くて遠い政治化
ラッキーストライクの日の丸を撃つために駅馬車は旅立つ
カマンナ・マイ・ハウスのアメリカよ
地図にありながら 幻のアメリカよ
遙かなる大西部の家なき子 それは過去だ
あらゆるユートピアはいかり肩で立ちあがる
鷹がくわえた死の翳のアメリカ
醒めるのだ 歌いながら 今すぐにアメリカよ

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「野脇中学校新聞」昭和25年1月1日

中学2年生の時の作品です。

童話 大空の彼方

昔々、支那のお話です。
地図をごらんなさい。河南の少し下に伏牛山という字が書いてあるでしょう。伏牛山はそれはそれは大きな山でした。山の麓にたった三軒だけお百姓さんがいました。中で大仁さんというお百姓さんの家には黎明という子供があります。黎明は今年十才になる賢い子でした。今日も伏牛山のふもとに寝ころんで空を眺めていると色々の考えが浮かびました。
「大空には何があるんだろう。それに空って一体どんなものだろう? きっとあの高い伏牛山に続いているんだナー、昇ってみたいなァー」
こんあ事を考えている内に黎明は眠くなりました。おやおやもう寝てしまいました。
ふと気がついてみると、黎明は伏牛山をどんどん昇っていました。何故昇っているの? 黎明は自分ながらも不思議でたまりません。けれども足はそんな事は一向にかまわず、どんどんどんどん昇って行くのです。全くの自覚が失われています。空へ行くんだ! 心がこうつぶやいている様です。
「ソラーツ」と叫ぶと花がいっぱい入った香水のような水があたりにまきちらし、早くおいでおいでと天国からのような優しい声がむかえます。もううれしくてたまりません。夢中で昇りました。とうとう頂につきました。けれども空はやはりずっとずっと上でした。黎明は悲しくなりました。やがて空は黄昏のなくを下し見るまに暗くなってしまします。ほうほうとふくろうがさびしく鳴いています・夜風の中にすすきがさみしくおいでおいでをしています。突然! ゴァーツと雷でも落ちたかと思われる顔のすごいお化が現れました。
真っ赤な血が顔について口は耳までさけ虫歯が七本ばかりつき出ています。
アッ、黎明はびっくり仰天! 逃げたくても逃げられません。可哀そうに黎明は腰を抜かしました。「俺は空だ」男はどなりました。手の刀がギラギラと光っています。俺は空だッ、用がなかったら帰れッ・口から火がメラメラと出ています。
「か、か、帰ります」と逃げようとしますが立てる訳がありません。殺すぞッ、ピカッ、稲光りがして刀から水が飛び顔にかかります。キャーッ、た、たすけて—助けて—と叫んだ時、水が首すじにサーツとかけられた様な寒さを感じコロリと意しきが不明になりました。
ボンヤリ何か見えます。—足です—誰かの? 「風を引くぞ」と突然父さんの優しい声が耳元に響きました。気がつくと黎明は伏牛山のふもとに寝ころんでいたのです。では—
夢・・・夢だったのです。黎明は再び空を見上げました。
「空って、あんなにこわいものかなァ」
(空なんて天国のような気がするけどなァ)
黎明はこうつぶやきました。
夜風がサーツと流れて、ほほに当たります。黎明はこ黎明は立ち上がって帰りました。星がにこにことそれを見送っていました。

(完)

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